Pt(白金)
Pt(白金)は周期表の10族で、第4周期のNi(ニッケル)、第5周期のPd(パラジウム)に次ぐ第6周期のd–ブロック金属元素です。
Ptの酸化数0(単体)の電子配置の最外殻(という表現は正しくはないが..)は5d96s1で、電子2個を放出した5d86s0(酸化数+2)の酸化状態が一般的で、Pt4+も比較的容易に生成し、Pt6+の酸化状態までとり得ます。
Pt2+の形成する錯体はほぼ例外なく平面四角形で、抗がん剤のシスプラチンの作用にもこの錯体の形が重要です。
Ptは周期表の第6周期で下の方に属し、Pt2+は*柔らかい酸のため、柔らかい塩基との相互作用は相性が良く共有結合性で安定化します。(シスプラチンではその薬効のためにも、配位子交換が早過ぎず遅過ぎずの特徴を持つような製剤設計がされている)
※硬い酸・塩基、柔らかい酸・塩基(HSAB則)については別の記事で解説する予定です。
一般的に、配位結合は配位子のローンペア(非共有電子対)を利用して金属イオンに結合するため、電子の授受で酸塩基反応を考えるルイス酸・塩基と捉えることができます。
硬い酸と硬い塩基、柔らかい酸と柔らかい塩基同士の相性は良く、結合が強力になります。(HOMO、LUMOなどのフロンティア軌道理論に基づく)
シスプラチンの構造活性相関
シスプラチンの構造活性相関(化学構造と薬理作用の関係)から、シスプラチンの抗腫瘍活性を増強させるための構造的特徴には以下のものがあります。
①置換不活性配位子と置換活性配位子のcis-配置
②錯体の電気的中性
③置換活性配位子の程良い置換速度(Cl−、Br−)

いずれの特徴も錯体・配位化学的な理由があるので、少し説明を加えます。
置換不活性配位子と置換活性配位子のcis-配置
cis-配置ではDNAの近接するグアニン(G)同士を架橋することができ、DNAの立体構造を変化させ、DNA複製阻害やアポトーシスの誘導作用を期待できます。
一方、trans-配置ではこのような抗腫瘍活性はほとんどなく、DNAを大きく歪め過ぎることでかえってDNA修復機構がはたらいている可能性があるようです。

また、核酸塩基との架橋形成で配位するのは主にグアニン7位の窒素です。

核酸塩基とシスプラチンの反応性は
グアニン(G)>アデニン(A)>>シトシン(C)>チミン(T)
とされ、多く(約60%)はDNA単一鎖内の隣接したG同士を架橋することで、抗腫瘍活性を発揮します。
錯体の電気的中性
有機化学でも通じるところの分子形・イオン形の脂溶性・水溶性の違いと同じで、錯体の電気的中性はイオン形に比べ脂溶性が高い状態です。
シスプラチンが抗腫瘍活性(抗がん作用)を発揮するためには、シスプラチンが細胞内に移行し、核膜を通過後、DNAと相互作用しなければなりません。
そのため、シスプラチンは投与後に錯体として細胞膜を通過する必要性から、最初は脂溶性の高い電気的中性を保つ必要があります。
ここで、Cl–濃度は細胞外で高く、細胞内で低いことから、細胞膜通過後はH2O分子と配位子交換し、アクア錯体へ変換されます。

置換活性配位子の程良い置換速度(Cl−、Br−)
錯体の細胞膜透過後、今度はDNAにうまく辿り着くための“変化“が必要です。
DNAはリン酸基を持ち(−)に荷電しているので、(+)に荷電した物質と静電的に引き合います。また、DNA到達後には核酸塩基と効率良く錯体を形成する必要もあります。
そのため、Pt製剤が抗がん剤として成り立つためには適度に置換できる配位子が必要で、シスプラチンのcis-配置にあるCl–がその役目を担っています。
ここで、なぜ配位子交換が–NH3ではなく–Clで起こり、–OH2に置換されるのかと疑問に思うかも知れませんが、これは『配位子場理論』と『分光化学系列』で説明できます。
配位子場理論と分光化学系列についても別記事で今後紹介予定ですが、本記事下の【Pt2+の配位子場と分光化学系列】で説明を入れておきます。
ここでは細かいところには触れませんが、Pt2+は配位子場が強く、それと相性が良く安定な錯体となりやすい配位子の順はCl−<H2O<NH3(アミン類)です。
シスプラチンがCl(細胞外)→H2O(細胞内)→=C-N=C-(核酸塩基の塩基性窒素N)の順に配位子交換され、徐々にエネルギー的に安定な方へ置換されているのがわかります。
また、速度論である『配位子置換反応』についても後述しますが、これにはSN2求核置換反応が関与します。
まとめ
シスプラチンが薬効を発揮するのに程良い置換速度を持たなければならないのは、まとめると以下のような流れにあります。
(1)(がん細胞の)細胞膜を通過するまでは脂溶性の高い電気的中性の錯体を維持する必要がある
(2)細胞膜通過後は作用点であるDNA(−電荷)に静電的引力を利用して近づくため、アクア錯体(+電荷)を形成する必要がある
(3)DNA到達後は核酸塩基と配位し安定な錯体を形成する必要がある(水素結合も関与する)

置換活性配位子に適度な置換速度がなければ、必要な場所で必要な錯体を形成できず、シスプラチンはうまく機能しなくなってしまうのです。
錯体・配位化学で見るPt(白金)製剤
この先は配位子場理論と配位子置換反応に分けて解説します。
先述したように、シスプラチンが抗がん剤として成り立つためには程良い置換速度を持つ必要があり、これは①配位子場理論と分光化学系列、②立体配座(平面四角形錯体)と配位子置換反応から説明することができます。
薬学部では、自分も含めて無機化学に弱い傾向があるように感じるのと、近年は薬剤師国家試験でも狙われたり、実臨床でも遭遇する可能性の高い問題なので、錯体・配位化学の理解を深めておいても損はないと思います。
Pt(白金)製剤に関しても、錯体・配位化学の知識が薬剤を見る時の解像度を非常に高めてくれ、錯体やキレートの考え方にもより深みが出るはずです。
では、順に解説していきます。
Pt2+の配位子場と分光化学系列
Pt(白金)でも説明したように、Pt2+は柔らかい酸で、柔らかい塩基(生体内アミノ酸では-SH基など)と形成する結合は共有結合性で強力です。
そのためPt製剤は硫黄S原子を含むアミノ酸(Cys、Met)との配合変化、相互作用にも注意が必要です。
しかし、シスプラチンが結合するNH3やH2O、Cl–などは全て硬い塩基に分類されるため、本来であれば柔らかい酸と硬い塩基の相性はあまり良くないはずですが、ここでは安定な錯体であることと、置換反応が起こりにくい置換不活性であることは、必ずしも一致しないことにも注意です。
配位子場理論
配位子場理論・・・金属原子のd軌道と、金属に配位する配位子の軌道との間の相互作用を、錯体の分子軌道と捉え、共有結合性も考慮した理論
金属イオンと配位子が配位結合した錯体は、元の原子(分子)の軌道エネルギーより安定なエネルギー準位の軌道と電子配置をつくります。
八面体形錯体では、金属イオンd軌道に配位子(電子)が近づくと、5つに縮退していたd軌道が2つのエネルギー準位の軌道に分裂(結晶場分裂)します。

これは金属イオンd軌道と配位子の軌道それぞれの形から、配位子がd軌道の電子に近づく(軌道が重なる)際に、電子反発の強い形と弱い形で軌道エネルギーに差が出るため(結晶場理論)です。
金属の5つのd軌道は、電子同士の反発が大きいeg軌道(×2)と電子同士の反発が小さいt2g軌道(×3)に分裂し、このエネルギー差を配位子場分裂パラメータ(Δ)と言います。
配位子場分裂パラメータ(Δ)の正味のエネルギー差を配位子場安定化エネルギー(LFSE)と言い、LFSEのマイナスの値が大きいほど安定な錯体となります。
ここで、Pt2+は平面四角形錯体で、結晶場は4つのエネルギー準位に分裂することがわかっていて、八面体形錯体とは異なることに注意が必要です。

Ptは周期表でも下の方(第6周期5d金属)で、同族元素の中でも軌道が広く配位子と結合しやすい性質があり、Pt2+のd軌道と配位子の軌道が重なり合うとエネルギー的に安定な結合性分子軌道をつくります。
この金属イオンが結合し安定化する順が、次に説明する分光化学系列です。
分光化学系列
分光化学系列・・・配位子場分裂パラメータ(Δ)を増加させる(錯体の遷移エネルギーが大きくなる)配位子の順
配位子場分裂パラメータ(Δ)が増加すると、基本的に錯体は安定化します。
ただし、d軌道に入る電子が元々少ない金属イオン(Cr3+、Mn4+など)ではこの限りではなく、ある程度π電子供与性のある配位子の方が安定化し、錯体の安定化が一部逆順になる場合もあります(いわゆる硬い酸・硬い塩基の組み合わせに近い)。
Pt2+は配位子場が強く、一般に分光化学系列の大きい分子(原子)で錯体が安定化します。
以下に分光化学系列の大きさを示します。
(強調部分はシスプラチンの配位子となっているもの)
I−<Br−<S2−<SCN−<Cl−<NO2−<N3−<F−<OH−<C2O4−<O2−<H2O<NCS−<CH3C≡N<py(ピリジン)<NH3<en(エチレンジアミン)<bpy(ビピリジン)<phen(フェナントロリン)<NO2−<PPh3<CN−<CO
参考:シュライバー・アトキンス無機化学(下)p.607


ここで示したように、シスプラチンの中心金属(Pt2+)が安定な配位子はCl–<H2O<NH3(アミン類)であり、それぞれCl(細胞外)→H2O(細胞内)→=C-N=C-(核酸塩基の塩基性窒素N)の順に配位子置換、安定化され、シスプラチンの薬理は体液組成の理に適っているのがわかります。
Pt2+の立体配座と配位子置換反応
平面四角形錯体とSN2求核置換反応
シスプラチンなどPt2+は平面四角形の錯体を形成します。

平面四角形なので、上下からの求核剤による求核攻撃に対して立体障害が生じにくく、三方両錐(五配位)体形の遷移状態を介してCl–が脱離基として外れるSN2求核置換反応が進行します。
配位子置換反応
SN2は”二分子”求核置換反応で、反応速度=k[基質][求核剤(配位子)]で表され、反応速度は基質濃度が高いほど、もしくは求核剤である配位子の濃度が高いほど速いことを示します。
シスプラチンの求核置換反応もSN2で、配位子との会合機会(配位子と出会う頻度)が高いほど配位子交換も進んでしまうため、シスプラチンの希釈は生理食塩液にする必要があります。
ClがH2Oに置換するのは会合律速であるので、Cl–が多い(つまり濃度が高い)ほど置換されにくく、H2Oが多い(濃度が高い)ほどClはH2Oに置換されやすくなります。
Cl–は細胞外濃度が高いため、希釈液を生理食塩液にすることで、がん細胞の細胞膜透過まで脂溶性の高い電気的中性の錯体を維持できる割合が増えます。
シスプラチンが細胞膜を通過する前に高濃度のH2Oに晒されアクア錯体を形成してしまうと、+電荷を帯び脂溶性が失われ、がん細胞への取り込みが弱くなってしまいます。
まとめ
シスプラチンの化学構造はその薬理作用を発揮するために非常に重要で、がん細胞DNAで作用するまでに必要な化学的性質変化を、細胞内外の体液組成まで上手く利用した薬理になっていることが理解できると思います。
熱力学的な配位子場理論による安定性と、速度論的なSN2求核置換反応による置換活性とに分けて考える必要があります。
実際には他にも影響していることは多くあり、本来であれば錯体の平衡反応から安定度定数などを求めて定量化できるといいですが、臨床現場での実効性などを考えると配位子場理論やHSAB則、置換活性など半定量的(と言えるかわかりませんが..)でも理解していると違うのかなと思います。
(HSAB則については今後の記事でも紹介予定です)
カルボプラチン、オキサリプラチンの構造
キレート錯体の安定性
シスプラチン以外のPt製剤であるカルボプラチンとオキサリプラチンの化学構造も見てみます。

錯体の安定性はキレート効果の影響も受けます。
カルボプラチンやオキサリプラチンではPtを取り巻くように配位子が環を形成し、キレート効果による安定性が上昇します。
キレート環の安定性は環ひずみの影響を受け、一般的にニ座配位の場合は5員環>6員環>4員環の順とされています。
キレート環の数も多い方が安定化しやすく、カルボプラチンでは6員環×1、オキサリプラチンでは5員環×2であり、オキサリプラチンの方が安定であると言えます。
また、分光化学系列を見るとCl–に比べC2O4−の方が安定で、ここでもシスプラチンよりカルボプラチンやオキサリプラチンの方が安定な錯体であることがわかります。オキサリプラチンに配位しているアミンはen(エチレンジアミン)として見ることもできそうですね。
また、硫黄S原子を含むものと配合変化・相互作用に注意が必要なのは、添付文書やインタビューフォームからも読み取れます。


いずれも硫黄S原子とPtが共有結合性の配位をし、キレートや錯体を形成することを示唆しています。
第104回薬剤師国家試験 問206〜207
第104回薬剤師国家試験にオキサリプラチンの配位化学の問題が出ていたので、今回の記事に関連して載せておきます。
(画像引用:厚生労働省HP)



解答:問206→1、問207→2
総括(Pt製剤の相互作用と安定性)
Pt製剤の相互作用や安定性などを考える上で重要な要素を簡潔にまとめます。
もちろんこれらの相互作用の種類も寄与度も一部でしかないですが、知っていれば考えやすくなると思います。
硬い酸・塩基、柔らかい酸・塩基(HSAB則)
Pt2+は柔らかい酸のため柔らかい塩基との相性が良く、結合が共有結合性となり強力です。
錯体の生成反応など酸・塩基反応を考える上で有用です。
Cl–、H2O、NH3、HO–、CH3COO–、PO43-、CO32-、ROH、RNH2など
His(ヒスチジン)、Br−、NO2、N2、N3−、C6H5NH2、C6H5Nなど
R2S(Met:メチオニンなど)、RSH(Cys:システインなど)、CN−、CO、C2H4など
Pt製剤が硫黄S原子を含むものと相互作用に注意が必要なのはこのためです。
分光化学系列
Pt2+は分光化学系列で大きい方に属する分子(原子)と相性が良く安定化されます。(強調部分はPt製剤の配位子となっているもの)
I−<Br−<S2−<SCN−<Cl−<NO2−<N3−<F−<OH−<C2O4−<O2−<H2O<NCS−<CH3C≡N<py(ピリジン)<NH3<en(エチレンジアミン)<bpy(ビピリジン)<phen(フェナントロリン)<NO2−<PPh3<CN−<CO
C2O4–はオキサリプラチンで配位しキレート環を形成しています。
キレート効果
一般的にキレート環の数が多いほど、また、環ひずみが小さいほど錯体は安定化します。
5員環>6員環>4員環>3員環
配位子交換速度
Pt2+は平面四角形錯体でSN2求核置換反応によって配位子交換されます。
速度論的に、配位子(ClやH2O)の濃度が高いほど反応が進みます。
そのため、反応速度は薬剤投与後の体液組成(体液環境)にも左右され、Pt製剤の薬理活性を考える上で非常に重要です。
最後に
今回はPt製剤を例に無機化学の視点で薬剤を考え、錯体・配位化学に触れてみました。
実臨床でも金属による錯体・キレートはよく問題になるので、簡単な特徴くらいでも知識としてあると役に立つことがあるかもしれません。
次回以降で八面体形錯体や無機化学の一般論にも触れてみたいなと思います。
オススメ参考書
薬剤師が現場で化学を活かせるようになるには、まず基礎学問を習得する必要があり、実臨床で未知の現象を洞察する上でも必須です。(僕自身もまだまだ未熟で勉強中ですが…)
国家試験を控える薬学生だけでなく、すでに現場で活躍している薬剤師の方々にも、化学に興味を持ち、現場で活かせるキッカケのようなものになれば嬉しいという想いで発信しています。
基礎と臨床の整合性はもちろん大事ですが、今回の記事を書くにあたり使用した参考書を紹介してみます。
①シュライバー・アトキンス無機化学
無機化学の専門書です。
軌道や電子配置の意味など細かい部分まで触れられ、金属元素の性質、錯体・配位化学など、おそらく薬学生や薬剤師が学び活かすにはかなり充分な内容だと思います。
初学者には少し難しい内容かもしれませんが、化学の予備知識のある薬学出身者なら比較的スムーズに読み進められるのではないでしょうか。
②スタンダード薬学シリーズ
これは薬学生でもぜひ持っておいて欲しい化学系薬学です。
薬学コアカリキュラムのSBOに沿った内容で、将来薬剤師として働くなら押さえておきたいポイントがわかりやすくまとまっています。
初学者でも入りやすい参考書で、特にⅡの『生体分子・医薬品の化学による理解』は、僕が普段発信しているような化学構造と薬理作用を結びつける内容(ファーマコフォアなど)も収載されています。
併せて読みたい記事
CYPの阻害機構(相互作用)と薬の構造〜構造式から薬剤を比較する〜
参考:
・シュライバー・アトキンス無機化学 第6版
・スタンダード薬学シリーズ 化学系薬学Ⅰ・Ⅱ 第2版
・Ryan C. Todd and Stephen J. Lippard. Inhibition of transcription by platinum antitumor compounds. Metallomics. July 2009, 280–291.